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コラム vol.3
■日本代表
  世界三大美女のトリを飾るのはわが国代表の小野小町でございます。時は貴族の時代「平安時代」。国風文化の歌人であります。六歌仙の一人でもあり、三十六歌仙の一人でもありました。数奇な恋愛歴を持つ絶世の美女として色々な伝説も残っております。
  京の町随心院のあたりに小町の住まいがあったとされ、小町御苑という石碑の近くに直径1mほどの木の幹がありますが、この幹は深草少将の百夜通いの折、小野小町が日数をかやの実で数えていました。99個目のかやの実を手にしたまま少将は死んでしまい、小町は供養のためにかやの実を小野の里に蒔いたそうです。その木の三代目の幹だと伝えられています。また、少将をはじめ多くの貴公子からもらった千通の恋文が埋められているという「文塚」も近くにあります。
■雙紙洗い水
  小町通にあり、この地にあった邸宅で六歌仙の一人大伴黒主との歌合せが行われました。黒主は小町の評判のよさに嫉妬し、小町が歌を記した草紙に手を加え、万葉集の盗作に見せかけようとしましたが小町はこの計略を見抜き、庭先の水で草紙を洗うと、後から黒主が書き足した箇所が洗い流されて難を逃れたそうです。
■小町寺
  補陀楽寺の別名。「吾死なば 焼くな埋むな 野に晒せ 痩せたる犬の 腹肥やせ」という壮絶な歌を残し悲しい最後を遂げたといわれております。野ざらしになった小町の菩提を恵心僧都が弔ったといわれております。
■百人一首
  藤原定家が小倉山の山荘で撰した小倉百人一首が有名です。歌番号9番が小町の歌「花の色は うつりにけりないたづらに わが身よにふる ながめせしまに」しとしと降る長雨に物思いにふけっていると、せっかくの桜の花も色あせてしまって、まるで今の私のようで・・・少し前までは私も花の盛りだったのに・・・。寂しい歌ですね老け行く自分の姿に哀愁を感じているようです。
  技術的にも今の駄洒落であります「掛詞」も2箇所に入っています。一つは「ふる」-月日を過ごすという意味の「経る」と「降る」。もう一つは「ながめ」-長雨(ながあめ)のながめと眺め。自分の今の気持ちを洒落た言葉遣いで表現するところにすばらしさが感じられるんです。
■小町伝説
  本当に小町の伝説は各地に多く見られますよね(中には便乗しているところもあるのでしょうが)。山形県の小野川温泉の地名もその伝説の一つのようです。835年小町の父親である小野良美は仁明天皇から出羽の郡司の命を受け東北に赴きました。838年18歳の小町は父の慕情を募らせて尼に扮して京の都から旅に出ました。
  今の会津のあたりで旅の疲れで病に伏した彼女はある村人の家で一夜を過ごしたときのこと。夢枕に薬師如来の姿を見て、現在の大樽川のほとりの霊湯に入ると病が治るとのお告げを聞きました。彼女は父に会わずして病に伏したことを悔やみ、祈るような気持ちでお告げの霊湯を探すものの見つけることができずに「訪ね行く 出湯は何処に あるならん 心あらばや 葦よおしえよ」と詠んだそうです。すると足元の葦の葉が霊湯の方向になびき、導かれるかのように霊湯を見つけ出し荘厳な湯煙に感動した彼女は湯治を続けたそうです。
  やがて病から回復した彼女は薬師如来を近くの山に祭り庵を構えて信仰の日々を送ったそうです。その地こそ小野川温泉であります。
■最後に
  世界の美女軍団は三者三様ですが、伝説は三人とも多いようで不思議な話もかなり残っているようです。一体この三人を誰が世界の代表にしたのかは解かりませんが、男性をメロメロにした点で間違いなく彼女達は魅力溢れる美女だったのでしょう。あと1000年経てば新しい女性に代わっているかもしれませんが・・・。
  もし、皆さんの中でこの三人にまつわる興味深い話を御存知の方がいらっしゃれば教えてくださいね。よろしくお願いいたします。
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